特集


■「叫(さけび)」黒沢清監督インタビュー
(2007年2月9日初回放送)


番組ではご紹介しきれなかった秘話をホームページ上で特別公開!


黒沢監督と初対面したはなの感想から…。

はな/善さん/ 黒沢監督(以下黒沢)
   
はな :  びっくりしました!
映画にそのまま登場されそうな雰囲気で。

善さん:  どういった雰囲気ですか?

はな :  警察の善い人側みたいな。
おどろおどろしいほうじゃなくて。

黒沢 :  うれしいですね。

はな :  すいません、初対面なのに…。
   
黒沢 :  いえ、僕の知っている限りでもホラー映画とか暴力映画とか(を作っている人は)大体みんな優しい人が多いです。なぜでしょうかね…。やっぱりそういう人ほど怖いこととか暴力的なことに対して、すごく繊細な感覚を持っているんじゃなかと思いますね。鈍感な人ほど、すごくハッピーな映画を撮って人を泣かせたりしているのに、実は本人はすごく暴力的だったりすることが意外とありますよ。ハイ。

 
はな :  すごいですね(笑)。じゃあ、今日はそこらへんをうかがっていきたいと思います。

善さん:  まずは、はなさんに新作「叫(さけび)」の感想を伺いたいんですが。

はな :  観に行く前に「ホラー映画なんですよ」ってスタッフの方に言われてて…。ワタシ実はホラー映画って、実際映画館に見に行くのが何十年ぶりかっていうくらい、長い間観てなかったんです。でも、この映画はちゃんとスクリーンから目をそらさず見られました。

善さん:  ほう。

はな :  自分が思い描いている「怖い」とか「幽霊」とか、観たくないようなイメージが映画にほとんど出てこなかったので、ちょっと意外な印象を受けました。

善さん:  じゃあ、ちょっとその辺詳しく伺っていきましょう。

はな :  そもそも私の中の「幽霊観」って、地方に行ったときに見せていただいた掛け軸に脚のない幽霊が怖い顔していて…見たくもないような雰囲気を持って幽霊が描かれていて。
でも今回の映画は幽霊が歩いていたり、幽霊が空飛んだり、扉をわざわざ開けて部屋から出て行ったり…たぶん皆さんが思い描く幽霊像と違う撮り方をしていたんですね。それは何故だろう、と思って。

黒沢 :  (はなさんが)これまであまりホラー映画をご覧になってらっしゃらなかったとお聞きしましたが、今指摘されたことに気づかれたというのはとても嬉しいことです。
これまで僕自身もホラー映画を何本か撮ってきましたし、幽霊ってこんな感じかなというのを、今回は覆してみようと思ってやったんです。ひとつの馬鹿馬鹿しいひらめきがありまして、「幽霊って人間だったんだよね」ってことだったんですね。
死んだ人間がいきなり出てくると怖いけれど、考えてみたら過去には普通に僕らとほとんど何の変わりもない人間で、エイリアンが襲ってくるのとぜんぜん違うはずなので、「一度幽霊を可能な限り人間扱いした映画を撮ってみたい」と思ったことが、この作品のそもそもの原点でしたから。
普通の幽霊とは違う、というところを感じ取ってくれたのは嬉しいですね。

はな :  観ていて「違和感」があったんですよ。ちょっとホラーとは違う。しかもたまにクスッと笑ってしまうようなシーンとかが出てきて…なんでだろう?と思ったときに、「これって幽霊映画なのに幽霊っぽくない!」って。
たぶん、いろんな情報とか勝手な想像で、(自分の中で)幽霊像がワーンと膨らんでしまっていたせいなのかなって思ったんですけども。
監督ご自分の中の幽霊像っていうのはやっぱり人間らしさとか…。

黒沢 :  現実に幽霊に遇ったことがないんですよ。だから本当にそれができたらどういうことなのか…っていうのは実は分からなくて、全て想像するしかないんですが。
幽霊が出てくる映画とか、テレビでも漫画でも幽霊が出てくるとやたら人は怖がるけれど、小さい頃から何が怖いのかな?っていうのは疑問だったんですね。
殺人鬼って言うのは単純に怖いじゃないですか?ゴジラが襲ってくるのは…これも怖い感じがするんですけれども、幽霊は殊更ナイフを持って殺しに来るわけでもないし、街を破壊しにくるわけでもないのに、何が怖いのかなぁ…っていうのは昔から疑問ではあったんですね。
それを観た人はみんな怖がるっていう「大前提」でいろんな物語が出来ていて…まあ、実際に今出てきたら怖いとは思うんですけど…でもよーく(幽霊本人と)話してみると、意外と「なんだ人間じゃない?」とか「触ったら触れるじゃない?」とか、死んじゃったその人にまつわるいろんな事が…それは全部過去のことですけど…いろいろ判ったりするんじゃないかな、と。
普通のドラマではしないですよね。今回は、怖がりつつも幽霊と何とか関係を取り結ぼうとする人間の、ときにおかしいこともあるでしょうけど、ドタバタぶりを描いてみたんですけれどもね。

善さん:  今の話に関連してなんですけど、ぼくも幽霊はそんなに怖くないんじゃないかなっていつも思っていて、幽霊が何故怖いのか?って考えていくと…例えば「四谷怪談」なんかでは、幽霊の存在が怖いんじゃなくて、お岩さんに悪いことをしたわけでしょ?悪いことをされたお岩さんが恨めしがって出くるから怖いんで、「幽霊が怖い」というよりはお岩さんに対して自分が悪いことをしたってことに対して怖いわけだから、そういう意味では人間的だと思うんですよ。

はな :  自分が悪いことをしたこと、そのこと自体に対して囚われている。この気持ちが実は一番怖いってことですね。

善さん:  一方で化け物とかエイリアンとか、それこそ現実にいるテロリストとか通り魔とか得体の知れない怪物に殺されるかもしれないっていう恐怖感も人間にはあるから…。
単純に「お化け的なもの」、っていってもおそらく過去の自分のしてきた「業」にかかわることと、この先自分が殺されるかもしれないってことの、たぶん二つあるんだと思うんですよね、恐怖って。で、最近のホラーって割とわけもわからず襲われるってのが多いじゃないですか?

黒沢 :  そうですね。そこがなかなか今回も苦労したところなんですけど、おっしゃるように「四谷怪談」とかは本当に気持ちのいいくらい幽霊が「生身の人間」としても怖いんですね。何故かっていうと、そういう物語になってるんです。
つまり、昔の怪談って、幽霊は物語の前半ずっと生きてるんですよ。ずーっと生きているある人間、“岩”というヒトが、いろんな苦労して物語の最後のどこかで死んじゃうんです。
で、そこから幽霊になって出てくるから、これは怖いし、出てこられた方との関係は出来てるんですね、生きているときから。だから怖いけどわかるんですよ、ある人間としての悲しみとか「うらめしや」といいたい気持ちが。
ところが近年、欧米なんかでは幽霊は最初から死んでるんですね。
で、特に日本映画では最近のモダン・ホラーは幽霊は最初から死んでいる。ま、そのほうが単純に映画の前半に見せ場を作りやすいんですね。「冒頭5分後から幽霊が出ます」っていうと。「四谷怪談」では1時間くらいしないと幽霊出てこない。死なないから。

はな :  なるほど〜。

黒沢 :  ところが最近のホラーはもう、冒頭から幽霊が出てくる。それはそれでいいんですが、するとやっぱり善木さんのおっしゃるとおり、かなり「怪物」に近いんですね。彼女なり彼なりが生きていた時はすでに過去の話だから、最初から「死んだもの=怪物」みたいに扱われちゃう。今回の「叫」はモダンなその形式をとりました。やっぱり冒頭5分で幽霊が出ないとマズイっていう制約もありまして。
「四谷怪談」のように最後の方に死んで幽霊になるのは物語上よろしくない、と。でも可能な限り「幽霊が生きていたときどうだったのか?」を、過去の描写をする、という単純な方法じゃなくて、幽霊として見せながら、その彼女の過去を、すこしでも匂わすような表現をしてみたんですけれどもね。

はな :  確かに映画の冒頭のシーンって、彼女が殺されるところから始まるじゃないですか。そのシーンも、女性の息が聞こえなくなる最期までワンシーンで見せていたり、映画の中盤でも、飛び降りシーンがノーカットであったりして。低い位置からだけど飛び降りる場面をきちんと最後まで押さえていたり。なんかある意味、その方が怖かったりとかするのかなって、思わせるような…ちょっとアナログっぽい、CG使ってない分、なんかすごくきちんと逆に現実を見せてるって言う感じがしたんですけれども、それもまた意図的なことなんですか?

黒沢 :  いやあ、うれしいですね〜そんな風に言ってくれると。そのへんが、あの…、大変だったんですよ、撮影が。そういうところを観ていただけると作った甲斐があったという感じがするんですけどね。
冒頭、水に顔突っ込まれてそのまま溺れ死ぬシーン、あれ大変だったんですよ(笑)。
まあ、実は息をしているんですけれども。息をしている仕掛けが見えないように何度も練習して、絶妙な位置にその仕掛けを装着して芝居をしてもらってるんです。
ま、何もそんな苦労しなくても適当にごまかせば表現出来るんですけれども、本当にそれが目の前で起こっている感じ、って言うのがなかなか伝わらないんですよね、ごまかしちゃうと。
苦労したシーンでしたね。で、屋上から飛び降りるのもほんと大変で。
狙いとしては、「打ち合わせではそこまでやるって言ってなかったのに俳優が勢い余って落ちちゃったんで、カメラマンもあせった」っていうものだったんですよ。
だからビックしたようにカメラが「本当に飛び降りたの?!」っていう、「予定じゃないことが起こっちゃった」っていう風に撮るのが狙いだったんですね。

はな :  スタッフは全員飛び降りるってことは一応知ってました?

黒沢 :  ほんとうにそんなことやったら…。

はな :  カメラマンさんに黙ってたのかな?とかいろいろ…。

黒沢 :  いえいえ、あれは一日がかりで何度も練習して。もちろんいくつか実は合成とかを使ってるんですけれども。

はな :  あ、そうなんですか!

黒沢 :  ええ。

はな :  最近の映画って全部CGで、見ている側としても、「作られているのにそれが現実」ってきっと思い込んでしまっているんだなぁ…と今回映画を見て感じたんです。
でも実際、ビルから飛び降りたら足は痛くなるし…幽霊映画なのに、人間らしさが感じられる部分が多かったなあ、と思いました。

黒沢 :  まあ、ほんとにね、カメラの前でそういうことが起こってくれるとうれしいんですけど、高いところから飛び降りたり、ヒトの顔を水につけたり…やっちゃぁいけませんので、そういう危険なことはやらない…ですが。
「さもやったかのように見せよう」って、スタッフも俳優もいつも苦労してるんですけど。
でも、そういうのをさりげなくても、なんとか撮って、うまくいくとやっぱうれしいですね。それは実写だなあ♪って思う瞬間です。
たぶんアニメでこれやっても別になんてこともないと思うんですよ、簡単に出来ちゃうから。実写だから観ている人がハッと驚くんだよなと痛感いたしますね。

善さん:  今回はかなり「古典的な幽霊もの」と「近代のホラーもの」、あるいはいわゆる「ゴーストストーリー」と「刑事サスペンス」、みたいに異なるジャンルが組み合わさってるような独自の形式の物語になっていますが…?

黒沢 :  いやー、さすがに幽霊モノもいっぱいやってきたので、さっきも申し上げましたけど、ただ「幽霊が出てきて怖い」っていうだけじゃない、そのウラに何があるのか、っていうのを少し探ってみたり、そのウラにあることに興味を持っていろいろ動いたり…。だから半分は刑事の捜査モノの形式をとりました。ただ「言うが易し」で、大変でしたね。刑事が捜査することと、幽霊が出てくることって、あの…合いそうで合わないんですよ(笑)「あれ?刑事が捜査してるときに幽霊出てきたらどうすんだろう?」って。「逮捕する!」ってわけに行かないでしょ?で、刑事だから、捜査中にあんまり怯えてるのもナンで…。
だから、そんなことが現実にあるかどうかは知りませんけど、殺人事件が起こった現場に行って警察が捜査しててフッと見たら幽霊がいたらどうするか!?多分、見てみぬフリするんじゃないかってね。重要参考人として聞きに行くってことも多分しないだろう、と。
かくも、「刑事の捜査」という科学的で理性的な行為と、「幽霊が出てきてしまって心の中を探られてしまう」っていう行為って全然合わないんですね。まあ、ですからその混乱を逆に役所広さんが実にうまく、一方で捜査しながら一方で怯えてるという…結構難しかったですね、この役は。

善さん:  今、言われて思い出したんですけど、オダギリさん扮する精神分析医も出てくるじゃないですか。
「実は幽霊っていう現象は心理的なものだ」という風に一旦説明しておきながら、そこからの展開がそこにとどまらない。普通の場合はどちらかに落とし所があるんですが。精神分析医を出すというのは、かなりキワキワの…。

黒沢 :  そうですね。あそこをオダギリ ジョーさんにやってもらったという時点でかなり変化球ではあったんですが。こういう件に関して、最も通常信頼できると思われる人間を出したかったんですね。普通だったら最も頼りになりそうな人が、この件に関してばかりは一番頼りにならないっていう。
だから、まあ、結果主人公は自分で解決するしかないってとこに何とか持っていきたかったんですけどね。

善さん:  昔の物語で「お岩さん」で言えば、因果がはっきりしてるじゃないですか?つまり原因をまいたやつに祟るっていう。
今回はまあ、詳しくは言いませんけど、ちょっと「ねじれ」を含んでますよね。その辺はどういう狙いだったんですか?

黒沢 :  まあね、そのへんがモダンホラーたるところなんでしょうね。
やっぱり「四谷怪談」などの古典的な因果、単純な報復、復讐の話…。やられたからやり返す、っていう単純な話にはやはりならなかったですね。どうしてかわからないですけど、この世に何か未練や恨みを残して死んだ人間の持っているものって「個人」を超えている。伊右衛門が「悪かった!」って言えば許されるってもんじゃないから、と。その報復が終わってそれでカタが済むっていうものではないなって。それは連鎖していったり、とっくに目的を果たしているのに気持ちだけは一向に収まらないとか、そういった事態に何故かどうしてもなっていく感じがするんですよ。
まあ、そうなると収集つかなくなるんですけどね。
ただ、映画も収拾がつかないところでバッサリ終わらせたんですが、そこが昔の単純な古典的な怪談とは違うところで、現代の映画なんだろうなぁ、と自分では納得してますけれどね。

善さん:  それは映画作家としての黒沢さんの考え方であると同時にひとりの人間の見方ですよね?人間って因果応報を超えた物理的に説明しきれないものに圧倒されているんじゃないかと思います。そこにいつも興味を感じるんですよね。

黒沢 :  そんな大げさなほどではないですけど、そんな感じはしますね。だから物語としても…少なくとも時代劇に関してはわかりませんが、現代のしかも東京を舞台にした物語で、「コノヤロー!復讐してやる〜」と思って、その復讐を果たしたとしてもそれで終われるとは思わないんですよ。そんなに人間って単純じゃないし、世の中もそうは出来てない。「四谷怪談」も古い時代だからこそ、今、説得力があると思うんですけど、やっぱり現代のこの世界に生きてますとね、人間のある単純な思いって必ずすれ違ったり、肥大したり、トンデモナイところに転がっていく。それが面白い、かな、と。

善さん:  映画として観ると現代的な解決し得ない恐怖みたいのを感じるんですが、反面、ジャンルが幽霊モノだから、ということで、ある意味安心しちゃう要素にもなるのでは?…そのへんどうですか?

黒沢 :  そこがまさに難しいところなんですけど、幽霊も何も登場させずにそういうテーマの映画もやってみたいなと思いつつ…それがまたものすごく高度で。下手すると本当に難解な、観念的な映画になってしまいかねないので。
幽霊がいいかどうかわかりませんけど、とりあえず多くの人がある共通したイメージとして持っているもの― 幽霊でなくてもいいんですよ。わかりやすいある映画のジャンルでもいいんですが、そこからスタートして、だんだんそんな単純なものが通用しない現実世界に移行していければなぁ、といつも思ってるんです。
はなからわけのわからない現実を相手にする映画もやりたいんですけどねぇ…なかなか難しい。これが一番難しいですねぇ。

善さん:  そういう意味ですごい期待はしているんですけどね。今回撮られた映像にしても、湾岸の映像や、水が液状化している映像などがすごく印象に残っていて。あの辺もある意味過去、現在、未来がごちゃごちゃになってるからすごく印象深かったんです。
撮影の舞台になったロケーションについてちょっと狙いをお聞かせいただけると…

黒沢 :  これは昔から東京近郊で映画を作る時にロケハンをしていて常々感じていたことなんですけど、行く度に風景が変わってるんですね。
みなさんご存知でしょうけど、特に湾岸地域は、この間まで空き地だったところにビルが建っている、前ビルが建っていたところが空き地になっている…ということがしょっちゅうで。一回変わってしまうと、前はどんな風景だったか全く覚えてないんですよね。面白いように忘れる。で、「こんなに忘れていいんだろうか?」っていうぐらい訪れる度に違っていて、前のことを忘れてるっていう。
ふと「どれぐらいの数の風景を僕は忘れてしまったんだろう?」と考えるとそれは恐ろしい量だなと。もうそこにないからっていうだけで、忘れ去られてしまったものって この辺に充満しているよね、と、東京をロケハンしながら思っていたんです。いつかそのことをベースにした映画を撮ってみたいなぁ…とは思っていたんです。
善木さんがおっしゃったように、忘れてるって言えば、昔あのあたりが「全部海だった」ってこともとっくに忘れてる訳で。ちょっとなんかあると下から実際海水が出てきたりして、「ここは海なんだ…」っていうことが思い出されたりしますよね。

善さん:  そりゃもう戦争中は、爆撃で死体が浮かんでいたらしいし、そもそも「夢の島」なんていう変な名前のごみ溜め地があって、たくさんの人が夢という名のごみを捨てた場所でもあり…そういう意味でもまさにホラー的な場所ですよ。

黒沢 :  面白かったですね、実際撮影していても。メインの、最初に殺人が起こる埋立地 ―豊洲の方は、ちょうど一年前に撮影していたんですが、撮影が終わるやいなや建築が始まって…今は何ができてるんですかね?あの築地の魚河岸が移転するところなんですよ。その直前を狙って撮影したんですけどね。
撮影が押して、最後の撮影の日なんて、もうすぐそこまで重機が来てるんですよ!(一同:笑)「あっ、もう明日にはこっちくるぞ!」って。「今日終わらないと!」みたいな。
追い詰められた撮影でしたけども。僕が一年前に撮影した場所は今はもうないですよ。

善さん:  そういう意味じゃもう半分土地が「幽霊化」しているっていう…。

黒沢 :  そうですよね。

善さん:  そこにないものが映っているっていう意味でね。

黒沢 :  そう思いますね。だから、まあ、僕は東京のあちこちで撮影してきましたんで、僕のこれまで撮ってきた映画をつぎはぎすると東京の20年ぐらいの歴史がみえるかもしれないですよ。

善さん:  「クロサワ映画で偲ぶ東京」とかね。

黒沢 :  そうです、そうです!「アカルイミライ」ではちゃんとあの表参道の同潤会アパート映ってますからね。もう今はないですよね。

善さん:  そういう企画、是非一回やっていただきたいですね。…ところで黒沢さんは、見た目も教授のようなかたですけど、実際に今東京芸術大学で教えてらっしゃるそうですが…ちょっとそれに関してどんな感じかお話いただけますか。

黒沢 :  どんな感じっていわれても…あんまり人に教えたことがないものですから、教えるってどんなことか分かってないんですよ。
ま、大学院なんですね。大学じゃなくて大学院ですから、基本的には生徒もそんなに多くないですから、映画を撮らせてる。撮って、脚本書いたらそれを読んで何か言ったり、撮ったら撮ったものを観てあーだこーだ言うのが基本です。それ以外もっともらしい講義はそんなにしていませんが…。
ただ若い人たちは、当然なんですけど、みんな才能があって、今ビデオとかがありますから非常に高度なものを撮ってきますね。高度過ぎちゃって(一同笑)あんまり言うことがないんですよ。逆にこんな高度な映像、ドラマを撮る人たちがごろごろいて、でも全員が将来映画監督になれるという保障はありませんし…こんなに全員なられても困るし(笑)…。
この人たちの将来を考えると、「どうしたらいいんだろう?」と途方に暮れることがありますね。そこまで教授が心配する必要はないのかもしれないですけど、学生によっては「オマエこんなところで勉強しているより、他の事した方がいいんじゃない?」っていうことを言いたくなる人もいますよ。もう十分力があるから、もう勉強するよりもどっか行って勝手にやったらどうなのと?ただまぁ「じゃ、どこ行きゃいいんですか?」と聞かれればよくわからない。
実際の映画、あるいはテレビの仕事っていうと、就職口は無理やり探せば何かあるかもしれないんですが、彼なり彼女なりが行った就職先でその人の本当の才能とか力が発揮できるのかどうかわからないですからね。だから難しいなぁーと思いますけど。

善さん:  監督は生徒さんたちに、「監督という職業の一番大切な役割って何か?」と聞かれたらなんて答えますか?

黒沢 :  はい、人を信じることですね。まぁ、これスタッフでも俳優でも当然集団でやっていますから、プロデューサーでも誰でも、とにかく人を信じる。この人すごいなぁ〜と思うことが何より重要で、どれだけ強くその人を信じられるかにかかっている気がしますね。
僕、すぐ人を信じちゃうんですよ。(一同笑)これが僕の才能なんですよ。ほんとすごいな〜って、誰に会っても思っちゃう性質なので、おかげさまで今日まで映画作れてますけど。

善さん:  一応芸大は、音楽や美術など、個人がその芸術の世界に出て行くために必須みたいな場になってると思うんですが…。映画の世界においてはどうですか?

黒沢 :  いやぁ、どうなんですかねぇ。芸大がどうしたとか、学歴がどうしたとか、これを学んだからどうしたなどということはあまり将来に関係ないと思います。ただ、芸大には限りませんけど、一番学生にとって重要なのは、自分の作品が撮れていること。自主的に撮っていてもいいんですが、芸大に来ればそれこそ信頼できるスタッフとか仲間ができるわけですから。自分の作品を作れているということが、一番大きな財産になると僕は思ってます。
僕自身8ミリ映画を学生の時に、それはつたないものでしたけれど撮っていて…。
どんなへたくそでもいいんですよ。自分の作品を撮った、自分は撮れる、ということがやはり後々大きかったですね。例えば、どんなに助監督経験が豊かでも自分の作品を一回も撮ったことない人って、「自分の作品を撮るぞ!」っていうモチベーションがなかなか持ちづらいですよね。「いつかプロデューサーが声かけてくれるかな?」とか、いざ声かけてくれて「お前何が撮りたいんだ?」と言われると、たぶん撮ったことない人はよくわからないかもしれない。自分はこんな作品を撮る人間である、ということが分かるというだけで、学生たちにとっては大切な時間かなぁと思います。

はな :  監督は「ニンゲン合格」の中でも、人間の存在は人間同士で示していくという映画を撮られていたのに対して、今回は幽霊の存在があえて人間の存在を引き出す物語になっていると感じたんですが。監督はなぜここまで幽霊の存在にこだわってらっしゃるんですか?

黒沢 :  そんなに日ごろから幽霊のことばかり考えているわけではないんですけれども(笑)ひとつは、いろんな要請でホラー映画をたくさん撮ってきて、イヤでも幽霊っていうものを映画にしてきてそれについて考えてきたということがあります。
それと…大げさかもしれませんけど、やはり―「死ぬ」ってこと、「死」への興味。人間誰でも、「死んだらどうなるんだろう?」とは考えたくはないと思いますけれど。結論、というか答えは見つからないと思うんですが、死んだら一体どうなるのかって…最大のテーマ、関心事ですよね。

はな :  監督は「死」に対して恐怖とか不安とか、そういう気持ちはありますか?

黒沢 :  そりゃ不安もありますし、恐怖もありますけど…分からないですからねぇ。死んでみたら「なぁんだ…こうなるのか?!」(笑)「怖がることもなかったぜ!」って思うかもしれないし、死んでみたら「失敗した〜、もうちょっと生きときゃよかった…」と思うかもしれないし。さっぱりわからないですが…どのみち「何か」になる。「無」になるという説もありますけど、それもよくわかりませんよね、なんだか…。ただ、どのみち死ぬわけです。「死ぬ」ってほとんど「幽霊になる」ことだろう、と思うわけです。「うらめしや〜」とか…もう物語の世界ですけど。大きく言うと、幽霊って「死んだらどうなるの?」っていうことを表現してるなぁ、と思うわけです。これは生きている人間みんなが、考えたくないかもしれないけど考えざるを得ない、非常に崇高なテーマだと思っています。「人の死」を表現する。これって幽霊ってことともう直結したことだと思うんですけどね。

はな :  監督の死のイメージって今回登場する赤い服の幽霊の姿と重なる部分ってありますか?

黒沢 :  そうずばり聞かれると困っちゃうなぁ…(一同笑)

はな :  なんかすごく悪いことしてしまった人に「幽霊を描いてください」って頼んだら、おどろおどろしい…それこそ「うらめしや〜」っていう幽霊を描きそうですが、監督の「ちょっとわからないけど、もしかしたら、そんなにどろどろしたものじゃないのかも」という死に対する気持ちが幽霊と重なって今回の表現に至ったのかな、と…

黒沢 :  よく言われることですけど、死ぬ直前の「ある思い」がそのまま固定されてしまったような状態。ずーっとひきずっているそれがひとつの「死」である…そういう考え方もあって。
すると「叫」で出てきた幽霊、日本の「お岩さん」もまさにそうなんですけど、死ぬ直前に一番とらわれていたもの。生きている人間ならば過去のことは全く忘れて次の新しいものに更新されていくんですけど、死んじゃったおかげでそこで止まってしまい、ずっとそれが連続している。だから生きている僕らにとっては「えっ!そんなことがまだひきずられているのか?」と気づかされる。それがひょっとすると、「死ぬ」っていうことかもしれない。
死者というものが生きている人間に影響を及ぼすとしたら、そこなんじゃないか、と。こちらはどんどん変化しているから忘れられるんですけど、向こうは変化できなくなっちゃってるわけですからね。それはたかがちょっと前でも、一ヶ月前でも。一ヶ月前に別れた友人がいて、その間こちらには色んなことがあってからしばらくぶり会ってみたら、その友人に一ヶ月前の感情でいきなりこられるとちょっとギョッとするじゃないですか?

はな :  ちょっと、もの忘れの激しい幽霊だったらいいですね(笑)

黒沢 :  そうね(笑)

善さん:  多分、もの忘れ出来ない人が幽霊になるんじゃ…

黒沢 :  それが本当に「死ぬ」ことかどうかわかりませんけど、ありうる事だなと思いますね。

善さん:  そういう意味では、監督はいろいろ定義を考えていると思うんですけど、「幽霊」と「お化け」の違いを聞かれたら…

黒沢 :  難しい質問ですね。

はな :  監督は今まで幽霊にまだ出会ったことがないとおっしゃっていましたが…?

黒沢 :  ないです。

はな :  今後、もしばったり幽霊と出会ってしまい、それが監督が思い描いていた通りの幽霊像であってもそうじゃなくても、これから作る映画にその幽霊観が関わってきそうですか?それともぱったりいきなり幽霊映画作るのを止めてしまうかもしれませんか?

黒沢 :  いやですね、会いたくないですね、幽霊ね(一同笑)多分できないとは思いつつ、もし幽霊がいたら「あのう、死んでいかがでした?」って聞いてみたいですね。(笑)「どうです?」「死ぬってどういうことでした?」って、やっぱり聞いてみたい気はしますが。(笑)だって向こうは知ってるから。

はな :  そうですね、答えが全部そこで返ってきちゃいますね。

黒沢 :  ただ、そんな余裕はないかもしれないかもしれないですね。(一同笑)