名作発見

洋画★シネフィル・イマジカでは、ひとつひとつの映画への想いをたいせつにしています。 「たとえば、こんな名作。」ここでは、わたしたちスタッフから、コラムでご紹介していきます。

「8 mile」

(2002/カーティス・ハンソン監督/アメリカ)



この映画を見ると、あなたもラップが好きになります。
と書くと「別に好きにならなくても結構!」と反論されるかもしれませんが、そう言ってくるのはおそらく団塊世代前後の中高年層でしょう。ロックやブルースの全盛期を同時代で体験してきた方々の中には、ヒップ・ホップやラップと聞いただけで拒絶反応を起こす向きも多いはず。しかしこの映画は、むしろそういう方々にこそ見ていただきたい。そしてラップというメディアの持つ凄まじいまでの表現力を実感していただきたいのです。あなたの愛するローリング・ストーンズやエリック・クラプトンにも劣らない素晴らしい世界があるのですから。

と言いつつ、この映画ができたのが2002年であり、舞台が1995年のデトロイトであることを思うとき、今見れば奇妙な懐かしささえ漂う作品と化しているのも事実です。今や他の音楽ジャンルと限りなく融合し、細分化・拡散を繰り返すヒップ・ホップが生まれた現場、その原初の姿を目撃するという見方が、今となっては正しいのかもしれません。それほどこの世界の変化は激しいのですから。

1995年、アメリカ・デトロイト。20世紀の隆盛を支えたアメリカの自動車産業の聖地として、かつてこの街は世界に君臨していました。しかし日本車の攻勢をはじめとするアメリカの産業構造の変化によってこの街は寂れ、中心地はスラム化し、富裕な白人層は郊外に移り住んでいきます。「8マイル・ロード」と呼ばれる道路を境に富裕層と貧困層にはっきりと分断された世界。工場労働者たちにかつての輝きはありません。

ラップ界のカリスマ・エミネムが演じるジミーは白人であるにもかかわらず、はっきりと貧困層に属する青年。自身の生い立ちをモデルにしているとも言われますが、自分にしかない才能を武器に貧困から抜け出ようとする、8マイル・ロードの向こう側にたどり着こうとする若者像として、実に普遍的な姿と言えるでしょう。彼は四六時中ヘッド・フォンで音楽を聴き、いつもノートにライミングを書き綴っている青年です。自分の才能に自負を持っているのですが、圧倒的に黒人のための表現手段であるラップの世界では、彼が白人であることがかえって反感を呼び、黒人たちに差別を受ける。そのプレッシャーと自堕落な生活を送る母親との確執などがない交ぜになり、ラッパーとしての彼の才能を高く評価している友人たちの支えにもかかわらず、彼はその才能を開花できずに苦しみます。そこに現れたモデル志願の少女。彼女もまた自らの容姿を武器に、8マイル・ロードの向こう側に飛び立ちたいのです。ボーイ・ミーツ・ガール。完璧な青春映画の構図です。

エミネムの演技は必見です。否応もなく身に付けているスター性、カリスマ性を払いのけ、ストイックかつ真摯に役に挑む姿は実に美しい。当初はアイドル映画とも見られていたそうですが、とんでもないこと。ラッパーとしての表現力をすべて演技に注ぎ込もうとする姿勢は感動的ですらあります。スタニスラフスキー・システムを骨の髄からたたき込まれたハリウッド俳優には絶対に真似のできない、エミネム自身にしか演じられない一回性の演技が爆発します。監督以下全スタッフがエミネムを愛し、ラップを愛していることがはっきり伝わってきます。それでいてこの映画がひとりのラップ・カリスマを主人公に据えたスター映画であることは紛れのない事実なのですから、そのしたたかなバランス感覚には舌を巻く、と言う以外にないでしょう。

注目していただきたいのは、たとえば工場の昼休みのシーン。何でもない普通の黒人のおばさんの呟きが、ふっと浮力を持ったライムに変身する瞬間。ああ、ラップというものはこういう風に生まれたのかと実感する瞬間です。過酷な労働と苦しい生活に愚痴をこぼしつつも、その言葉を独特なリズムに載せて周りにいるみんなを楽しくさせてしまう。映画後半の激しい、血みどろのMCバトルとはまた違うラップの側面を感じさせて、思わずうれしくなってしまう場面です。エミネムの、魂を強烈に揺り動かすラップも、その背景には日常と隣り合わせにいながらふっとその日常の向こう側に突き抜けてしまうような、こんなシーンがまちがいなく横たわっているはずです。そのことがよく分かるのです。そう分かってみれば、ラップとはブルースからソウルに至る、ビートルズもストーンズもそこから生まれたアメリカ黒人音楽のまさに本道であり、その20世紀後半的な現れであることがよく理解できるでしょう。エミネムの演技も素晴らしいのですが、彼を取り巻く下層社会を構成する何でもない人びとが実によく描かれています。どうしょうもない日々を、そのどうしょうもない感情そのものをリズムにしてしたたかに生きていこうとする普通の人びとの表現がラップなのです。ラップというメディアが海を越えて、たとえば日本の若者たちの意識にまでしっかりと食い込んでしまうほどの普遍性を得たのも、当初のラップが持っていたそのようなポテンシャルだったのでしょう。
そこまで納得できれば、2002年度アカデミー賞歌曲賞を受賞した主題歌『ルーズ・ユアセルフ(Lose Yourself)』のリズムに、みんなして乗ってしまう楽しさを味わえることは確実です。

以上今回は、ラップにもエミネムにも縁がないと思っているに違いないおじさん・おばさんの方々に向けて書きました。若い人にははじめから意味のない文章になってしまったかもしれません。

洋画★シネフィル・イマジカ 編成プロデューサー 市川陽