

洋画★シネフィル・イマジカでは、ひとつひとつの映画への想いをたいせつにしています。 「たとえば、こんな名作。」ここでは、わたしたちスタッフから、コラムでご紹介していきます。
ウィーンは影の似合う街です。
ウィーンを首都としたオーストリアはかつて、オーストリア=ハンガリー帝国として巨大な版図を誇っていましたが、ドイツ帝国と共に第一次大戦を戦って敗北。ハプスブルグ家の支配した帝国は解体され、チェコスロバキア、ハンガリー等の東欧諸国が生まれました。共和制となったオーストリアはやがてナチス・ドイツに併合されて第二次大戦を戦いますがまたしても敗北。首都ウィーンはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連4ヶ国の共同占領下に置かれます。
20世紀を代表する映画のひとつと言って差し支えないキャロル・リード監督の「第三の男」は、この占領下のウィーンが舞台です。伝統ある首都でありながら、連合軍の爆撃による廃墟が至る所に残るその街並みは陰影に富み、ここでは何が起こっても不思議ではない雰囲気を湛えています。この作品の背景は以上のような時期のウィーンです。
そのウィーンに、陽気なアメリカ人がやって来るところから映画は始まります。この男・ホリー(ジョゼフ・コットン)は戦勝国アメリカの陽性を象徴する人物でしょう。しかし彼は到着早々に彼をこの地に招いた親友・ハリー(オーソン・ウェルズ)の死を知らされ、たちまちにウィーンという根っから陰性の支配する街に巻き込まれていきます。ハリーはなぜ死んだのか。交通事故死と言われるけれど、もしかしたら何かの陰謀で殺されたのではないか。ハリーの恋人だった、これも影の深い女優・アンナ(アリダ・ヴァリ)を道連れに、ホリーはウィーンの闇の中に分け入ります。
ウィーンは懐の深い街です。かつてオーストリア=ハンガリー帝国の首都だった時代には各地からの人口の流入により、ドイツ語だけでなくチェコ語、ハンガリー語、ポーランド語、ルーマニア語などを始め、イディッシュ語からロマ語まで飛び交う多言語都市だったと言われ、その伝統はこの時代にあってもしぶとく受け継がれていたでしょう。加えてさらに事柄をややこしくしているのは、最初に触れたようにこの時代のウィーンが米英仏ソ4ヶ国の共同占領下に置かれていたという事実です。ハリーの死はイギリス管理地区で起きたので、ホリーと行動をともにすることになるキャロウェー少佐(トレヴァー・ハワード)はイギリスのMPです。一方で同じ建物に本拠を構えるソ連の陣営はハリーの死には興味がなく、もっぱらアンナの旅券偽造を暴き(それを偽造したのはハリーなのですが)、彼女を本国であるチェコスロバキアに強制送還させることに躍起です。同じ占領軍とは言え、東西冷戦下、その思惑は複雑に錯綜します。登場人物のひとりがホリーに忠告するように、「ウィーンでは誰でも用心してかかった方がいい」のです。誰と誰がどういう理由で結びついているのか、ないしは敵対しあっているのか、この街では他人の正体に謎が多い。そんな古い中部ヨーロッパの深い陰影が、この映画のサスペンスを底で支えています。
そして、ホリーの知らなかったハリーの裏の顔が次第に明らかになっていくのです。
さらにこれが敗戦国オーストリアの荒廃した首都の物語であることを考えれば、もはや映画史の伝説と化したハリーとホリーの観覧車のシーンで、オーソン・ウェルズ演じるハリーが言う「スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」という、一説によればウェルズ自身の発案になる台詞があまりに有名ですが、実はそのちょっと前にある「ヒーローなんて、もう小説の中にしかいない」というひと言も重要な意味を持つでしょう。ウィーンが、いかにそのような深い歴史を育んだ伝統ある街であったとしても、このような現状になってしまった以上は、そこで生きる、生きていかざるを得ない人間に、英雄なんていない。誰でも必死に、地べたに張り付くように(あるいは地下にまで潜って)生きていかなければならないんだと、彼は言うのです。つまり彼の犯した犯罪はそんな、彼が生きるためのギリギリの行為だった、きれい事なんか言っていられないんだと、彼は主張しているのです。とすればハリーは、第一次と二次のふたつの大戦を戦って(しかもふたつとも敗れて)迎えた暗黒時代のウィーンが生んだ、負のヒーローと言えるのではないでしょうか。今さらながらにオーソン・ウェルズのはまり役だと言うことがよく分かります。
夜のウィーンの街角に、不意に大きな人影が写る。そんなシーンを重ねながら、作品は常に緊張感をはらませながら進みます。圧巻はこれも伝説的な下水道での追跡シーン。一部はスタジオ撮影の場面もあるようですが、ほとんどは実際の下水道でのロケーション撮影です。ここのカメラ割りと照明の見事さには、何度見ても圧倒されます。下水道とは本来、真っ暗な場所です。この作品が「影の映画」であることを証明するように、これだけ陰影に溢れた画面を作りだす照明をその真っ暗な場所に当てるには、並はずれたセンスと膨大な労力が必要とされるでしょう。おまけに、常にこれだけの水量が流れています。電気と水。とても危ない取り合わせです。照明を扱うスタッフにとってこれほど危険な現場はそうないはずです。この一連のシーンはそんな、スタッフと俳優たち、それとおそらくはウィーン市下水道局との万全の信頼と協力関係によって生みだされたはずです。伝説的シーンになるのも当然です。
そして、これも映画史に残る伝説となった、永遠のラスト・シーン。アントン・カラスのチターの音色が響くなか、並木道をこちらに向かってまっすぐに歩いてくるアンナ。正面を見据えた彼女の目は、古いウィーンの、あるいはヨーロッパそのものの頸城を脱して新しい世界に歩いて行こうとする意思そのものです。陽気なアメリカ人も、そんな彼女を黙って横から眺めているしかないのです。
以上、往年のファンにとっては何を今さらのこととも思いますが、戦後のウィーンという複雑な街に想像が及びにくいかもしれない若い視聴者の方々に向けて、今回は書きました。
洋画★シネフィル・イマジカ 編成プロデューサー 市川陽
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